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2013/10/24

実は混ざり合ってない街シンガポール

常夏のハワイでリフレッシュした後は(仕事もしてないのにリフレッシュもクソもあるかというツッコミは甘んじて受け入れます)、シンガポールを目指します。

シンガポール政府観光局のWebサイトより拝借

頭から拝借した写真ということからもお分かりの通り、シンガポールではマリーナ・ベイ・サンズもマーライオンも見てないのです。


シンガポールはこの後のアジア周遊旅行に向けた入口兼出口なので来たのと、こちらも大学時代のサークルの先輩方や紹介していただいた方々に会えるので来たという感じで、観光はしないつもりで来た。

なのでスケジュールも、シンガポール到着初日の夜にはバンクーバー旅行を共にしたコゴちゃんからの紹介で大工さん(職業じゃないよ)と晩ご飯を食べ、翌日の昼にはリー・クアンユー公共政策大学院に通われているMETIの方とランチを食べ、夜にはサークル友達の土屋くんと晩ご飯を食べて、翌朝にはバスでクアラルンプールに移動するというスケジュール。
(サークルの先輩のKeiさんとも3日目のお昼に会う約束をしてたものの、出産直前ということもあり会えずでしたが、FBを見るとどうやら無事に第二子が生まれた様子。(おめでとうございます。))

それぞれ会った方々ととっても面白い話が出来たので、そこから覚えてるのをいくつか紹介したい。

<多様性に基づく創造にも数の力が必要?>
(最近は事情が少し変わりつつあるものの)シンガポールは積極的な移民政策を採っている国家でもあるし、歴史的にも中華系・マレー系・インド系と多様な人種が入り乱れる国家なので、多様性に支えられた創造力溢れる国家なのかなと想像していたものの意外にそうでもない。

なんでだろうねという話を大工さんとしていたところ、数の問題じゃないかという結論に至った。シンガポールは人口が500万人強しか存在しないので、主義・思想等においてマジョリティが存在しない。結果として、人種や主義・思想によるセグメントは多々あるものの、どのセグメントにおいてもマイノリティであるため、マジョリティに対抗していくだけの盛り上がりに欠けるということらしい。なので、マイノリティ同士の融合や交流というのが生まれにくく、それぞれが独立してあまり交わらないという感じらしい。

実際にシンガポールの地図なんかを見てみると、居住区も人種によってはっきり分けられている。
駅で無料配布してる地図がそもそも色で区別されてる
(黄色が中華系、黄緑がインド系、紫はアラブ系、マレー系は???)
多様性(ダイバーシティ)って組織や思考において大事なんじゃないかなと考えていたものの、そこには一定の臨界点(クリティカル・マス)も必要なのかもしれないと思えたのはとても面白かった。

<一方で、何か決断して推進していく上ではこれくらいの規模はやりやすい?>
良いか悪いかは別として、シンガポールの政策はリー・クアンユー氏による強力なリーダーシップによって決定・実行されているが、METIの方曰く、日本やアメリカ等の規模で各課題に対する解決策をスピード感を持って決定・実行していくのは難しいだろうとのこと。

もちろんステークホルダーがそれだけ多様であるからこそ、バランスの採れた意思決定になっているというメリットもあると思うのだけど、このスピード感は惹かれるものがあるよねとMETIの方とも話が盛り上がった。
(国家政策だけじゃなく、企業経営もオーナー企業とかだと似たようなことが多いですね。)

<自由と責任の関係に苦しんでいる日本人?>
これはシドニーでも話題になったんだけど、このご時世日本のように様々な点で恵まれた国に生まれた我々は、幸いにもかなり自由である。
(※もちろん自由でない方々がいらっしゃることも認識してますが、相対論として。)
結果として、選択肢が極めて豊富なのだけど、何かを選ぶという行為にはそれなりの苦労があるよね(自分自身に選択権がない状態の方が楽なことがあるよね)という話。

どの学校に行くか?キャリアはどのように設計するか?どこに住むか?結婚はするか?子供は?等の自身の人生に直接関係する重要な選択だけでなく、選挙はどこに投票しようか?等といったなんとなく重要そうなことから、今日は何を食べようか?とか、少し空いた時間を何して過ごそうか?等の日常生活でも選択出来るというかしなければいけない。

一方で、選択するということは何かを切り捨てることでもあるため、自分の選択しなかったオプションに対して悔いがないか?本当に十分に検討したのか?ということに対して、自分自身で決めたことなのだからあなた自身の責任で対応しなさいよ。とも言われているわけである。
全ての物事に対して十分な情報収集をして、判断軸を整理して、どの選択肢を選ぶかという行為ってもの凄く労力いりますよね。(メディアの情報が真実かどうかという判断も含めて)

色々話していた方の中には極論として、士農工商やカースト制度のように職業等が事前に決まっていて、体制側に不満を言ってれば限られた選択肢の中で幸せを追求するということもありかもねという方もいらっしゃいました。僕は自由でいられることが理想的だと考えてますが。。。

<今後の我々世代の課題は色んな幸せのあり方を見せていくことなのでは?>
日本のマクロ環境をもの凄く乱暴な前提を置いて見てみると、人口減少していく日本においては経済成長が見込みにくいだろうし(出来ないことはもちろんないですが)、今後もテクノロジーが進化していって生産性が高まると雇用者数はもっと減ってしまうし、国内においては格差なんかも広がっていきそうだよね、なんて話をしていたわけですが、仮にそのような状況だとすると、上述の通り相対的に豊かな環境にある我々は経済成長しない中でもどのように幸せを追求していくかということを考えなければいけないよなと。

僕の周りには、国のためにという想いで政治家や官僚になっている方もいれば、大企業で大きなプロジェクトに関わっていたり、ベンチャー企業を立ち上げて市場を創ろうとしていたり、NPOを立ち上げて社会問題を解決しようとしていたり、原点回帰だと地元や地方を盛り上げる取り組みをしていたり、ロハスな生活が大事だと2拠点生活をされていたりと本当に色んな価値観で様々な方面に取り組んでいる人がいるんですが、いずれにしても「こんな生き方があっても良いし、みんなもこうすれば出来るよね。だって僕が/私がやってるし!」というロールモデルになっていくことなのかもしれない。

最終的には、まぁ大概のチャレンジは死ぬ程のリスクはないし、色んなことやってみるべきだよねという結論に落ち着いた。

他にも面白いと感じたことが有ったかもしれないけど、筆不精のため既にシンガポールを訪ねてから1ヶ月以上経ってしまい記憶が薄れているので、今覚えているのはこんなところ。


こんな感じで色んな話もしていたんですが、空いてる時間は話の中にも出てきた各居住区を見てみようということで街を散歩してみた。
(なのでマリーナ・ベイ・サンズとかマーライオンは見てない。)
街中にグラフィティ・アートの展示があったので思わず
広場にこんな感じで展示されてました
宿はチャイナタウンのど真ん中にあるドミトリーに泊まっていたので、少し歩いてみるとまるで上海にいた頃を思い出すような、言語は中国語が飛び交ってるし、屋台食堂からレストランまで中華系でビッシリで少し懐かしい感じ。
(アメリカにもオーストラリアにもチャイナタウンあったけど、やっぱりアジアにあると気候のせいか本場感が強かった)
これまた写真撮り忘れてますが。。。

バスや電車に乗ると、やはり中国語・英語・マレー語(?)が飛び交っているし、見た目だけだと誰が旅行者で誰がシンガポール人なのかよくわからないんだけど、居住区毎にカラーはやっぱり違っていたし、それが数ブロック単位でガラッと変わるというのもとても面白かった。
インド系居住区は通りにヒンズー系の飾りが
アラブ系居住区にはモスクも
一番びっくりしたのがアラブ・ストリートがお洒落だったこと
この服屋さんとかセンスピカイチじゃないでしょうか?
Arab Stって名前そのまんまよね
ちょっと観光した後に待ち合わせしてた土屋くんにいたっては、オーチャード前で19時に待ち合わせというメッセージが送られてきたっきり連絡がとれないという、想像通りの行動で、最終的に会えた後もFBのメッセージなんてみねーよと駄目だし喰らいましたw
(その昔、NYでタイムズスクエアのマクドナルドで◯時に待ち合わせと言って、ボストンから携帯も持たずにやってきたKyoheiくんに比べればカワイイもんでしたが。タイムズスクエアにマクドナルドなんていっぱいあるし、バスが遅れる可能性もあるし、あの時出会えたのは軌跡だと思ったw)

最終日ということで土屋くんにお酒を奢っていただき、また年末日本帰る前にシンガポール寄る時はうち泊まりなよとまで言ってもらえて手厚く歓迎してもらえました。次回会う時はお礼しないとな。

次はクアラルンプールを目指します。

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