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2013/11/14

自分自身と向き合う瞑想体験

11/1~11/12までの12日間をかけてヴィパッサナー(Vipassana)という瞑想(Meditation)のプログラムに参加してきた。



ブログの時系列としては、マレーシア、タイ、インドネシア、インドとあるのだけど、記憶が薄れない内に感じたことを残しておこうということでこの記事は前倒しで書いてみたい。


ヴィパッサナー瞑想とは?

ヴィパッサナー瞑想という言葉を聞いたことがない人も多いと思うので少し説明すると、25世紀前にゴータマ・シッダッタがブッダとなる悟りを開いた瞑想法で、特徴は体験に基づいて教えを理解していくという瞑想法である。
(関係ないけど、ブッダって人名だと思っていたら、悟りを開いた人はブッダになるため、本来は特定の人物を指す名称ではないという考え方もあるらしい。。。知らなかった。)
なお、ゴータマ・シッダッタが産み出した瞑想法では有るものの、ダンマ(Dhamma)という仏教の法を実践するものであり、仏教徒であれ、キリスト教徒であれ、ヒンズー教徒であれ、どんな宗教・宗派でも参加可能というものである。

そもそも何故このプログラムに興味を持ったのか?

世界を巡る旅を始める前に情報収集のために色んなブログを読んだりしてる中で、Hibilogというブログでこの瞑想プログラムが紹介されているのを読んで(記事はこちら)、誰とも話さず、誰とも目を合わせない体験って面白そう!と感じた事がまず最初のきっかけである。

そしてその後、教育関連の書籍なんかを探してる時にたまたまGoogle社の社員がサーチ!(英語名ではSearch inside yourself)という書籍を出していて、社内で瞑想プログラムに取り組んでいるというのを読んでますます興味を持ったこと、そしてサンフランシスコにいる際にシリコンバレーでも瞑想が流行っているらしいという話を聞いて、これはもうこの旅行中にインドでやってみようと思うようになたのである。

参加するなら早めの申し込みが吉?

そんな訳でインドでこのプログラムに参加しようと、インド訪問前に参加方法を探してみたものの、あまり日本語で申し込み方のアドバイスが書かれている情報が無かったので少し参加方法の話もしたい。

ヴィパッサナー瞑想のトレーニングを提供している組織があるらしく、世界中に瞑想施設を保有してプログラムを各地で開催しており、Webサイトから各施設毎のプログラムスケジュールと申し込み可否が閲覧出来る。

日本にも千葉と京都に施設があるようで、こちらの情報は日本語で提供されているがそれ以外の施設については日本語対応してないため、そんなに難しい内容ではないので英語で頑張るしかない。(日本には日本ヴィパッサナー協会という非営利団体がある様子)

というわけで申し込み方法自体はそんなに難しくないんだけど、インド各地の施設のスケジュールを見てみたら、意外にも参加者が多くて直ぐに参加出来なかったのである。
僕の場合、当初はゴータマ・シッダッタはインドのブッダガヤの菩提樹のしたで悟りを開いたということなので、なんとなくブッダガヤで参加してみようかと思ったのだけどかなり先まで満席になっていた…。
インドで参加したい人は2ヶ月前位までに申し込んでおいた方が賢明だと思う。
(但し、僕が参加した施設でも当日に飛び込みでセンターに訪問して参加出来た人もいたのでダメもとで行ってみるのはありだと思うけど、断られる可能性もあるのでそのつもりで。)

結果的に僕の場合はインド全土の施設のスケジュールと申し込み状況を確認し、インド旅行の旅程や移動時間を勘案すると、インドで参加するのは難しそうなので、隣のネパールのポカラで参加することにした。

中々にハードな瞑想プログラムの内容

さてプログラムの中身についても少し書いておきたい。

まず一番印象強いのは、Noble Silenceとして、携帯・PCなどの機器や書籍・メモ帳などは初日に全て施設に預け、期間中は他人と話したり目を合わさないという外部情報との接触や他者とのコミュニケーションの制約があり、12日間にわたるプログラムを途中放棄しないという誓約を行い、パスポートやキャッシュも預ける。(まぁ実際には途中離脱する人もいるんですが。。。)

それ以外には五つの戒律を守るということで、

1. to abstain from killing any being(殺生の禁止)
2. to abstain from stealing(窃盗の禁止)
3. to abstain from all sexual activity(性的行為の禁止)
4. to abstain from telling lies(嘘の禁止)
5. to abstain from all intoxicants(酒やタバコ、ドラッグの禁止)


が基本的なルール。
1.に該当するため、食事は肉・魚・卵等は一切出されず、夕食はライスフレークにナッツを少し加えた小鉢とリンゴ1/4程度かバナナといった軽いものだけ。
(インド系料理なので味は毎回カレー味なんだけど美味しくて助かった。)

昼食はおかず2-3品に汁物といった感じ。
(この写真は最終日の昼食なのでいつもよりかなり豪華。)
夕食は紅茶にライスフレークと少しのフルーツのみ。

スケジュールとしては



という感じのタイムスケジュールで、早朝から夜まで食事と少しの休憩があるだけで、それ以外はほぼ全て瞑想タイム。休憩中も敷地自体が山の中にひっそりと存在する狭い場所なので、2-3分もあれば全敷地を歩き回れるので、散歩して気分転換というのも結構難しい。

外界との接触を断つには良い環境
右2つが宿舎、左はトイレとシャワー
瞑想ホールもこんな感じの質素な作り

初日は昼に集合して、登録手続きだけすると夜までは基本的にずっと参加者同士で話が出来て、2日目から11日目の昼までがコミュニケーションの禁止、11日目の昼以降は慣らし運転の意味も兼ねて瞑想時間以外はコミュニケーション可となり、12日目の朝の瞑想を終えて終了という流れ。

そして、瞑想そのものは座布団の上で胡座か正座が基本姿勢となる。
その姿勢をキープして目を閉じて何処も動かさずにいるというスタイル。

みんなで瞑想するホール
(左側が男性、見切れてる右側が女性)

その中で、

1. 上唇から鼻全体にかけての三角地帯に意識を集中する。
(痛み・痺れ等の感覚は観察するのみで反応しない。以下同様)
2. 上唇から鼻の入口までのエリアに意識を集中する。
3. 頭から爪先まで身体の各部位ごとに意識を集中し、各部位の感覚を観察する。
4. 身体全体のあらゆる部分で同時に意識を集中し、感覚を観察する。

といったような感じで10日間かけて段階を経ていく。

実際にやってみると一番辛いのは。。。

参加前から少しは覚悟してたものの、「まぁ辛いよとか言ってる人いるけど、そんなにたいしたことないだろう。なんとかなるでしょ。」位の軽いつもりで参加したらこれが想像以上に辛かった…。

最初は動かないということが物理的に辛い。足は痺れて痛くて耐えられないし、長年オフィスワークでだらしない姿勢を取り続けた代償として、胡座の姿勢をキープする筋肉もなくなってるので、何度も姿勢を変えてしまう。それでも人間の身体とは良く出来たものでこれ位のことなら数日で順応してしまうから驚いたものである。

しかし、何の情報のインプットもアウトプットもせず、誰ともコミュニケーション取らずに生活すると、自分に関する事しか考えられなくなるんだけど、こんなに長い時間に渡って自分のことを考え続ける場ってそうそう無いのである。
冷静に振り返ると我々の日常生活はいつも仕事したり、携帯触ったり・本を読んだり、友達と話したりと考えない時間が余りにも多くあるという事に気付く。

少し話は脱線するが、ムンバイで会ったアヤエちゃんと、駐在員として海外で1人で生活すると、慣れ親しんだ友達も周りにいなくなるし、日本に比べて夜に出歩く事も少なくなると、嫌が応にも関わらず自分の問題や課題に向き合わなくちゃいけなくなるので結構タフなんだよねという話で盛り上がったのだけど、その感覚を究極的なところまで突き詰めた感じなのである。

そして、このような時間の使い方は実はプログラム前半にはある意味で助かるのである。というのも肉体的に辛い時にこういう考えることがいっぱいあると、体感的には時間が過ぎるのが早く感じるのである。とは言っても開始から数日は過去の後悔した出来事とか気になる事を考えてるので、夜寝てもそんな夢ばかり見て夜中に飛び起きたりする…。

実際に僕の場合は開始から6日目位まではそんな感じだったのだけど、流石に1日15時間もそんなこと考えてると、もうあらゆる気になる事は考えてしまって、このプログラムが終わったらこうゆうアクションをとろうということを決めてしまうので、考えることが無くなるのである。

加えて、5日目位から夜のDiscourseの時間のレクチャーが徐々に宗教味を帯びてくるというか、哲学的な話になってきて、瞑想することによって得られるものに疑問を抱くようになってきたので、何のためにこんな時間の使い方をしてるのかわからなくなりモチベーションは保てないし、考えることも無くなってきてるので時間が経つのは遅いしで、発狂しそうになる。

そして7日目の夜に講師に相談してみた。

Shinsuke:
「正直なところヴィパッサナー瞑想は宗教では無いと言っていますが、教えの内容は何かを求めることを放棄すれば幸せになれるというような宗教的なものだと感じるし、何のために時間を使っているのかわからなくなってモチベーションが保てないのです。唯一自分をここに留めているのはネガティブな理由で途中で投げ出すと後悔するかもしれないという思いだけです。続けるべきか否かどうお考えですか?」

と聞いてみたところ。

講師:
「Discourceでも説明のある通り、ヴィパッサナー瞑想は道徳を守りましょうということを言ってるだけで、偶像も置いてないし、お経を唱えたりもしないでしょう。この瞑想は求めてはいけないということではないのです。ご飯が食べたいなとか、服が欲しいなと思う欲望は自然なことなのです。但し、人生は常に良い時ばかりではないので、もっともっとと何かを渇望(執着?cravingと言ってました。)してしまうのを避け、それによって、困難に直面した時にどのように対処するのが良いかということを瞑想体験を通じて獲得するのです。最後までやり通せばきっとそういう力を得ることが出来ますよ。」

という事であった。

まぁそういうならということで、ここまでやってみたし、気に入らないものも耐えてやり切ってみようと覚悟を決めて、やっとこさ乗り越えたという感じである。


瞑想体験を終えてみて

他の参加者の場合はどうかわからないけど、僕の場合は元々何かに対して感情的・直情的にリアクションしたり行動したりということをしないし、もっというと得意ではなかった。(年齢とともに少しずつ変わっているものの、ある意味では音楽のライブとかに行って本能のままに/感覚的に楽しめる人を羨ましいと思ってたこともある位)
人生で人に対して怒りをぶつけたことも数えるくらいしかないのではないかと思う。

そういうタイプなので、ヴィパッサナー瞑想の言っていることはある意味では理解できるのだが、道徳論の話になると論理の矛盾もあるし、現時点では受け入れがたいと感じてしまうことも多かったというのが個人的な印象。

逆にやってみてよかったなと思えることは2つあって、1つはかなりの時間をかけて自分に向き合えたという経験、もう1つはやりきったという達成感を味わえたこと。

1つ目の自分に向き合うというのは、少し前にも書いた通りなんだけど、結果的にこれまであまり向き合わないようにしてきた家族の問題を解決しないことには後悔するよなと思い、旅を終えた後のキャリアの優先順位なんかも少し変わると思う。他の参加者とも話していたけど、このプログラムが終わったら◯◯に連絡してみようと思うという人がとっても多かった。

そしてやりきったという点においては、正直1つ目のメリットは6日目位までで十分なものが得られる。でも12日間やりきってないとそれだけだって言えなかったのもまた事実なので、そういう意味ではやりきってなかったらこういう感想もきちんと書けなかっただろう。友人の一人が東北を走破するという目標を決めて、着実に遂行しており、Blogでも遂行する力の重要性について書いている(Blogはこちら)のだけど、その感覚には共感するものがある。
(僕の場合はたった10日間瞑想しただけでこんなに辛いと言ってるんだけど、彼は更なる苦境に挑戦していて悟りを開いてしまうんじゃないかと尊敬している。)

コミュニケーション解禁後に見えたヒマラヤ山脈は
達成感も伴って本当に綺麗だった

最後に、ポカラでの参加者は世界各国から来ていて、把握している限りでも、イギリス、ドイツ、スペイン、ベルギー、オランダ、イスラエル、アメリカ、カナダ、ネパール、中国、日本とバラバラで全部で約30人、途中で2-3人離脱してしまったのだけど、こういう困難を共に乗り越えた感覚があると、少し話をするだけでも容易に親近感を持つことが出来る。チームワークってこういう環境を超えて強くなるものだなぁと改めて実感したというのも少し別の感想。

プログラム終了後にポカラに戻ったメンバーで打ち上げ

僕にとっては人生で3本の指に入る辛い体験だったので、当分瞑想しないと思いますが、参加者の中にはこれから毎日やろうと思うという人もいたし、効果・印象は本当に人それぞれだと思う。
(人生の困難に直面した時に救済を求めて瞑想してみるかもしれないけれどw)

まぁでも得られるものも有ったし、長い休みの取れる今でないと挑戦出来ないものでもあったので、結果的には良い経験になった。もし、興味を持った人は、自己責任で挑戦してみて下さい。また、ダンマの思想とかもっと細かいやり方・考え方は長くなるため、省いて書いていないので、そのあたりにも興味がある人は日本に帰った時に聞いて下さい。

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